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『小説の誕生』 保坂和志

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『小説の自由』に続く保坂和志の文芸批評。保坂自身は、「この本は文芸批評でなく、小説そのものである」と言っているが、その発言には疑問が残る。これは確かに普通の文芸批評ではないが、小説と言い切ることもできない気がする。

いずれにせよ、読みでのある分厚い本だ。確かに保坂自身が

ソフトカバーであるにもかかわらず、このように自力で立つ!!
「一晩で読んだ」「一気に読んだ」などと言わせない。
それなのに税込み1995円

と宣伝(?)してるように、絶対に一晩では読めない難渋な一冊である。ぼくも多忙にかまけて2ヶ月くらいかけて読んだ。ただ、『小説の自由』から継続して保坂が考えている様々なテーマ群が深化しているかと言えば、そうとも言い切れない。ミシェル・レリス、レーモン・ルーセル、ピエール・クロソウスキー、ニーチェ、荒川修作、はたまたゴダールから膨大な引用をするが、テーマ群を深めたり、答えを導き出すというより、その周辺をウロウロしながら考察を続けていく、という保坂ならではの特異な粘り腰体質そのものを扱った本ともいえる。ぼくは保坂の本をずっと読んできて、答えを出すのでなく、その周りを巡り続けることそのものが重要である、という姿勢にけっこう説得されている。でもそういう態度が保証され、積極的に肯定される背景には、もともと答えを出したい、という強い願望が必要なので、一見すると矛盾した態度であり、煮え切らない態度でもあり、そこが、読者が保坂を受け入れるかどうかの分岐点になる。
ぼくとしては、保坂がこういう本を書くことで、いわば小説家・保坂のプロデューサーを自ら任じていること、それが功を奏している事態を、本当にいいことだと肯定する。と同時に、一種の危険性も感じる。保坂という人は、先日他界された巨人・小島信夫の系譜に繋がる、いわば変人である。文章に流れ込んだ保坂の思考形態・身体性は、連想と唐突さに満ちていて、小島譲りの珍品だ。ただ保坂は小島信夫より要領が良いので、自分を客観視しながらプロデュース作業もできている。というより、そうしなければいけないほど今の文学界の空間は貧しいとも言える。ともかく、小説家・保坂とプロデューサー・保坂という二束のワラジを履いた状況で、どちらに重点を置くのか、そのバランスが重要になってくる。冒頭に掲げた本人の発言「この本は文芸批評でなく、小説そのものである」という言葉は、保坂が小説とプロデュース作業を同質の仕事として取り組んでいることを語っているが、読者としてはやっぱり保坂の純粋な小説を読みたい。それは多分、けっこう皆が期待してると思う。保坂は今後も、1~2年くらいかけて、『小説の自由』『小説の誕生』の続編に当たる三作目を執筆するのだろう。生前、小島信夫も『私の作家評伝』という3部から成る大作文芸批評を執筆していて、その異色の出来栄えは伝説になっている。ぼくも図書館から借り出してきたが、2冊読み終えたところで断念したほどの凄まじい出来栄えであった。保坂が手がけている今のシリーズは明らかに小島信夫の作家評伝シリーズを意識したもので、3部という数字にもこだわりがあるのだと思うし、この時期に保坂が、自分の批評の集大成に取り組んでいる姿勢はやっぱり肯定しなきゃいけない。ただ小島信夫は、作家評伝シリーズを書きながら小説も同時に書き続けたのだが、保坂にはそういう器用さというか、メチャクチャさがないと思うので、基本的に批評一本槍になってしまう。その間、小説家・保坂の作品を読めないことに不満を持つとしたら、良心的な保坂ファンとは言えないのだろうか。

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